私は生物学的にいうと女性、雌と区別される。昨今はトランスジェンダーの問題とか、そもそも男と女の分類とは何なのかということも社会問題の一つだ。
この世を平穏に生活する為にも何事も区別が大事なことはよくわかる。幼稚園、保育園からはじまって組み分けからなされるのだから。
生まれた時にはまず♂、♀とカルテに書かれ、区別されるのである。
区別は色々あって当然なのかもしれないが、それによって差別される、生きにくくなるということは別問題なのではないかと考える。
カテゴリーは色々あっても女がダメ、男は良い、ましていわんやトランスジェンダーはカテゴライズもされないでは、現代社会に生きる人達として少しお粗末ではないのか。
そこで、私は女=男=私という方程式について考えてみた。人間はみな平等とはいえそうになっていない現実社会を私目線で申し訳ないが、掘り下げてみたい。
私が小学生の頃はまだ、ロリコンなどという言葉が珍しい時代だったので、部活動の帰りに夕方ブルマー姿で自転車で帰ったものだった。
それを母親に咎められることもない時代だ。
ある日、母が庭で洗濯物を干しているのをぼんやり見ていた時、電話が鳴った。
とると、若い男性の声だった。
何かアンケートに答えてくださいとのことだった、生理はいつ来たかという問いには何の疑問にも思わず答えていたが、その男の声がだんだんと息遣いがあらくなってきて私は直観的におかしいと思いはじめ、お母さんこの電話おかしいよと母に受話器を思わず渡したら電話は切れてしまったのだ。
母はすぐに小学校に電話をかけ、変態男の危険性を訴えたのだ。
その翌日、ホームルームで担任の先生から、昨日 〇〇ちゃんの家にこのような電話があったので皆さんも気をつけてくださいと、クラスのみんなに発表したのだ。
何か、自分が悪いことをしたかのようなあの居心地の悪さ。
私は女性という生物に生まれたことの恐ろしさ、また恥ずかしさを自覚せずにはおれなかった、はじめての出来事だ。
そしてそれが大人になってゆくともっと大きな影となって女に区別された私という人間に襲い掛かってくることを幼い私にはまだ予想ができなったのだ・・・・つづく