あれはまだ私が小学生の時だった、市内のプールに友達と遊びに行った時のことだ。
飛び込みができるようになった私は、回るプールなど、もう卒業などと、ちょっと大人ぶって水深2メートルの飛び込み専用のプールで飛び込みを何度か楽しんでいた。
また飛び込みの台に行こうと、プールサイドを歩いていた時に、何かが頭にあたって私の身体はプールに落ちていったのである。
深さ2メートルもあるとブクブクと落ちてゆく、何が起きたのかよく分からなったが、私は幸いにも泳げるので沈んでゆくときもそれほどの恐怖は感じていなかった。
それよりも、大人が遊ぶプールで、小学生が落ちたということで、騒ぎになるのは子供ながらに恥ずかしいので、早く上がりたいと何とか、プールサイドに泳ぎつき上がった。
そして私は何が当たってそのように落ちたのか?そのあたりを見た時に、高い椅子に座ったまだ若い監視員が暇そうに、足をブラブラさせていたのを見て、あの足に当たったと分かったのだ。
そして真っ黒に日焼けしたその若い男の顔を見た、口角が上がったのである、笑った??
目だけはまっすぐ前を向いていた、こちらを見る様子もなく何事もなかったように座っていた。
私はその瞬間、この人は何者?間違いなく私が落ちたことは気が付いていたはずなのに・・なんとも言えない違和感を覚え、友達が待っていた場所に戻る。
今起きたことを友達に話すことがなぜができなかった、普通に育っているこの小学生達には恐らくあの大人の存在は理解はできないだろうと私は薄々感じていたからである。
私の知っている大人達は、大丈夫だったとか、足が当たってごめんとか、まず落ちた私を心配する人達だと思っていた、それが心からでなくても表面的にはそうするものなのだと子供ながらの知識である。
しかしその理屈が通らない人がいるのだなあ~と私の胸に深く刻まれた出来事だった。
そして大人になってゆくと、そういうサイコパシーな人種に必然的に交わらないといけない場面が出てくるのだ。
その時々の立場によるが、これが私の馬鹿さと言えると思うが、相手に色々な形で反省を求めてしまうのである。
つまり戦ってしまうのである・・・・・
その人はとても魅力的で異性からも沢山のアプローチを受ける、俗にいうモテる人である。
人に私の彼氏、彼女ですと紹介しても、誰も反対意見をいう人がいないような人。
過去にその人に大変な嘘をつかれたことがあるので、その人になぜうそをついたのか理由を聞く為に一緒に食事をした時のことだ。
当時私はまだ若く、人間は話し合えば何とかなるものだという幻想をもった甘ちゃんだったのだ。
そのような場面はこちらとしてもとても気分が悪いことなので目の前にだされた食事にとても手をつけることができなかった。一口ぐらいを口にするのがやっとだった。
しかし目の前のその人は口に一杯食事を入れて、淡々とモグモグと口を動かし、なんで食べないの?というような顔で・・・だけど相変わらず目だけは笑っていなかった。
それはあのプールで出会った監視員を見た時のような同じ違和感だった。
サイコパスの特徴に罪悪感、自己に対する嫌悪感の欠如がある。
誤解してもらいたくないのは上記のような人達を決して攻めているのではない。
そんな人達に反省してもらいたいなどと思って長い間エネルギーを費やしてきた私の人生の馬鹿さ、愚かさの吐露なのだ。
メンタルが弱い人が多くなってきた昨今、サイコパスのメンタルは見習うべきところがあるなどという諸説もあるほどだ・・・・
サイコパスとは戦ってはならない!
ではどうする?? つづく