52ヘルツの歌声についてもう少し語らせてください。
私にも、届かなかった声と聞けなかった声がありました。
それは私が北陸の田舎町でセミナーをしていた時のことです。
人口は数万人の小さい市で、当然私の講座を聞きに来ている人達はお年寄りばかりでした。
そんなある日、40代の男性が講座にやってきました。
一番前に座り私の話しを聞いています。
こんな町にも若い男性がいるのかと驚きました。そこにやって来てから
あまり若い人を見たことなかったので。
お年寄りばかりの中、もう次は来ないなあ思っていたら、また次の講座にもやってきました。
そこでどうしてこの講座に入らしたのですか?と尋ねると、父が亡くなり色々と考えさせられ答えを求めていた時、チラシがマンションに入っていたのでやって来たとのことでした。
住んでいる互いのマンションがすぐ目と鼻の先であったのもあり、年代の近かった私達はそれからすぐに仲良くなりました。
Nさんは奥さんとお子さん1人の3人暮らしでした。
仕事は身体をこわしてその当時は働いていなかったので、私の近隣の講座にもちょくちょく顔を見せるようになり、一緒に食事に行ったり、同じグループの30代、40代の人達との飲み会にも顔を出すようになりました。
とっても楽しそうで講座に可愛い娘さんもつれて来て、一生懸命勉強していました。
色々手伝ってくれるNさんを私もいつしか頼りにしてゆきました。
ある時、Nさんからの着信があり出てみると、洗濯物ほしているよね、雨が降るから入れた方がいいよという内容でした。
窓の外みるとNさんの車が通りすぎてゆきました。
彼は彼なりの親切心だったのだと思いますが、境界線を越えてる??
私の心がざわっと動いたのが分かりました。
私も当時色々なことがあり、生徒さんとの距離間に重荷を感じていた時期でもあったので余計に感じたのかも知れません。
そしてしばらくして私は関西へ異動することになりました。
Nさんのショックは感じ取れましたが、これも仕方ないこととの残念な気持ちとちょっとした安堵の気持ちを抱えて関西に旅たちました。
それから数年はNさんは元気そうでしたが、だんだんと講座にも顔を出さなくなっていったということを風の噂に聞いていましたが、私も慣れない土地での生活に余裕もなくだんだんと連絡もとらなくなってゆきました。
それからまた北陸にゆくようになったのでNさんに会おうと連絡しましたが、用事があって会えないという返事に、元気なんだなあと安心したことを覚えています。
それからしばらくしてNさんとの共通の知人からの電話がありました。
「Nさん、自殺したよ、それも自分の娘を殺して、今テレビでやっている」という相手の興奮した声に、私は言葉を発することができませんでした。
しかし、あのざわっとした胸騒ぎから、私の頭の片隅にいつかこんなことが起こるかもという未来を感じとっていたようにも思えました。
私は確かに彼の危うさを感知していた。私がもっと強引にでもNさんに会っていたなら、もっとNさんの声に耳を傾けていれば、こんな結果にならなかった?
もう本当のことは誰にもわからない現実に涙がとまりませんでした。
SNSには相変わらず、笑顔の娘さんとNさんがアップされます。
私が写した写真です。
誰も消すことができないSNS・・・・・・私の罪を責められているように思えます。
52ヘルツのクジラたちを読んで、主人公がアンさんの苦しみがわからなかったことに頭に来ている私がいましたが、私もまったく同じだなあと・・・・・・
私にはNさんの声が届くはずだった、私がもっと強く、面倒なことから逃げなかったら・・・・
だからこそ今度こそは、どんな困難な道でも、孤独の海で歌っている52ヘルツの歌声を私は聞く。
と決意せずにはおれませんでした。