小説 ひとのもの⑤

直樹が東京を去る日がどんどん近づいてくる。

美咲は、直樹の電話番号もLINEも知らない、もう自分の心の思いを伝えることも、直樹の心を知る手段もない。

直樹さんは私のことを本当は何とも思っていないのかもしれない、でも、もしそうであるなら、なぜあの日、私のことをほっといてくれなかったの?なぜあんなに優しくしてくれたの? 美咲の心は振り子のように動いていた。

最後に最後に、直樹の心が知りたい・・・・その気持ちが美咲を動かし、毎日定食屋で直樹を待っていた。

2月半ばになった頃、定食屋に直樹があらわれた。

美咲はこれが最後のチャンスかもしれないと、直樹に伝えた、「私は直樹さんが好きです、直樹さんは私のことどう思っているのですか?それだけが聞きたいんです」

やっと言えたという安堵と次に聞く直樹の言葉への不安で胸が潰れそうだった。

直樹はゆっくり言った、「美咲さん、心の思いが強すぎて言葉にできないこともあるんだ・・・・」

えっ?この人は何を言っているの? 美咲はだんだんと腹がたってきた、私は勇気を出して言葉にしたのに、私の最後の願いなのに、こんな返答があるの?? 今度は美咲が思わず店を飛び出した、

心の思いを言葉にする、そんな簡単なことがあの人はできないんだ・・・美咲はもういいやとなんだか可笑しくなって声をあげて笑って、そして泣いた。

新年度で異動になる人達の送別会があった、もちろん直樹もその対象の一人だ。

美咲は最初に直樹にであったのがこの店だった。あの日から私はこの人に恋をしたのだ、そして今日は本当に最後の別れの日となった。

異動になる人の挨拶が終わると、送別会はお開きとなった。美咲は席を立とうとするとそこに直樹が前に立った。そして言った「最初に美咲さんが入ってきた時から気になっていたんだ」そして直樹は、短い手話をして、店を出て行った・・・

綺麗な手であらわした手話は何を伝えたのか正直美咲には分からなった。

急いで自宅に帰って直樹の指の動きを思い出して、インターネットで手話の意味を調べた。

「僕はあなたが好きだ」「ずっと一緒にいたかった」・・・という意味だった。

はじめて、直樹の本心を知った美咲は声を上げて泣いた。そして直樹の言葉を思い出していた・・・・・「言葉にできない思いがある」

美咲は一晩中泣いた。

翌朝の太陽は綺麗だった。直樹と一緒に見た美しい太陽を思い出した。

直樹さんは新潟で、私は東京で同じ太陽をきっと見てる。そして2人の思いが同じであることも知らされた。これでいい・・・・これでよかったんだ。

美咲は朝日に向かってつぶやく、お母さん、私、ひとのものを好きになってしまった。その人に恋をした、そしてその人が欲しかった。

でもでも奪うことはしなかったよ・・・・もう一生あうこともない・・・・・

綺麗な太陽は涙でかすんで見えた。

お・わ・り