サイコパスと私③

さあさあ、このシリーズ③に入りました。

ここまで読んでもサイコパスがまだ良く理解できないという方の為に、どのような特徴があるのか述べてゆきます。

● 神経学者のジェームス・ファロン の話

神経学者のジェームス・ファロンは、自分の脳のPETスキャン画像を見てはじめて自分がサイコパスであることに気づいたという。

ファロンは自分の過去の行動を振り返り、家族や有人の証言を集め、自分が紛れもなくサイコパスであることを認めるようになったという。

専門家でさえ、自分自身がサイコパスであることを認識することは困難なのだ。ファロンは自分の特徴を次のように述べている。

私は人とこころがじかにふれあっていない
自分の行動が人に与える影響をわかっていない
勝利を得るためなら、あるいは自分が望むことを相手にさせるためなら、私はがなにをしようともほとんど良心のうずきというものを感じない
ちょっとした快楽のために他人を貶めてしまうことで私は有名だった
多くの場合、私は共感的に振る舞える。(中略)しかし、私がしばしばこうするのは、彼らを思い通りにする方法を見つけようとしているからである

サイコパスを書いている私自身も、いくつものサイコパステストを受けてみた。とても常人には理解できないサイコパスの回答に驚いた・・・・                     

例ーサンタクロースが少年にサッカーボールと、自転車をプレゼントしたが少年は喜ばなかったそれはなぜか?

〇一般の人の回答 すでにもっていたから。                   

〇サイコパスの回答 少年には足がなかったから (; ・`д・´)      

サイコパスは全人口の男性3% 女性1%。 日本では150万人といわれている。

サイコパスが多いといわれる職業。

・CEO ・警察官 ・外科医 ・弁護士 ・報道関係 ・営業職 ・料理人 ・聖職者 ・公務員

歴史上ではマザーテレサ・織田信長・ スティーブ・ジョブズ 、ヒトラーなどなどサイコパスではなかったか??と言われている。

表ではいい人、人あたりがよく、社交的な人だが、裏でパワハラをするような政治家、芸能人なども名を連なれていた。

ではサイコパスは外見でわかるのかと言えば答えはノーである。

しかし特徴的なことは言われているので参考資料としてアップしておこう。

■ ポーカーフェイス

サイコパスは人を利用するために、自分の本意を悟られないようにしています。

だから、ポーカーフェイスです。

と言っても、表面上は社交的なので笑顔も少なくありません。

しかし、良く観察すると喜怒哀楽が平坦で、感情を非常に読みづらい表情をしています。

■. 口元で笑う

サイコパスは人の気持ちを掴むために、笑顔で親し気に話しかけてきます。しかし、良く見ると目元は冷めていて、口元だけで笑顔を作っています。「目は口程に物を言う」というのはサイコパスにも当てはまります。

■. 男性的な顔の作りをしている

性別関係なくサイコパスは一定数存在しますが、男性でも女性でも顔の作りはどちらかと言えば男性的です。これは、サイコパスの攻撃的な性格が、テストステロンという男性ホルモンからきていることが関係します。サイコパスは人よりも男性ホルモンの分泌量が多い傾向があり、顔も男性的になりやすいのです。

■. 虚ろな目つき

サイコパスは虚ろな目つきをしています。これは、「未来がどうなっても構わない」というサイコパスならではの刹那的な想いが表情に出るからです。

サイコパスは今の利益を追求しても、長期的な将来については考えないので、目に活力がありません。

■. 瞳孔が開いている

サイコパスが目的を見つけた時、ターゲットを見つけた時に、目つきに力が漲ります。

強い興味を持ち、その対象をジッと見つめるのです。

この時、サイコパスの瞳の瞳孔は開いています。ポーカーフェイスでも、「見つけた!」という気持ちの高揚を押さえられず、交感神経が高まって瞳孔が開いてしまうのです。

どうですか?あなたの近くにいますか?その人から苦しめられていませんか? 

よくこの話をすると、いるよそういう人!という反応をする人がある、そしてその身近な人に受けてきた攻撃を疲れたように語る。

次回はそのような具体的な例を・・・・つづく

サイコパスと私②

サイコパスは痛みや恐怖を感じないと言われているので、他人への痛みも当然感じられないから、とても普通の人には考えられない他人、動物への虐待などができるのだ。

そういう残虐行為ができる人達の原因は先天性なのか後天性なのかは今の研究ではまだ解明されていないのだという。

このようなことを実際に行って発覚したり逮捕されたりすれば、その人には犯罪者、殺人者というレッテルがはられ、本人にも自覚を促すことができる。

しかしこのような犯罪まで犯さないが、一般社会に潜むサイコパス原田隆之氏マイルドサイコパスと名づけているが、その人達に向かって貴方はサイコパスだ、とは面と向かって言えないのだ。

※理由は私にはわからないが・・・

テレビで連日報道されていた千葉の小4女児の虐待死事件、この父親は娘に虐待を繰り返し、それを携帯で撮影していたというが、この父親こそサイコパスではないのか??

しかし、メディアもワイドショーもそのようなことをいう人は誰もいなかった。

人権問題だから?貴方はサイコパスだと言えば倫理的に許されないことなのか?

ではサイコパスから容赦ない攻撃を受けている人達の人権はどうなるのだろうか?

今や社会問題でもあるので原田隆之氏(心理学者)はこのように語る

企業や組織における「マイルド・サイコパス」の研究では、サイコパス上司のいる会社の場合、部下の離職率、うつ、モチベーションの低下が際立っていることが相次いで報告されている。
ハラスメントに限ってみれば、
サイコパス上司がいない会社では、ハラスメント発生率が58%だったのに対し、サイコパス上司がいる会社では93%だった。
つまり、
サイコパス上司は、必ずといっていいほどハラスメント行為に及ぶのである。
イギリスの研究では、サイコパス上司のハラスメント行為による社会的損失は、年間35億ポンド(約5200億円)と見積もられている。
こうした研究を受けて、企業内で「
マイルド・サイコパス」を早期に見つけ、彼らを責任ある地位に就かせないようにする試みも広がっている。
上記引用

私も20代の頃からの知り合いの中に、その人といるとなぜが具合が悪くなり、ストレスを感じる人がいた。

その人と交わりがあればあるほど、私は追い込まれる気がした。

私に対して色々な世話をしてくれることもあるその人は、当然私への親切心からなのだと疑わなかった、何か分からない嫌悪感を抱いている私の方が罪悪観を感じていたのだ。

そして私はそれから次第に、体調を崩してゆく。

サイコパスの捕食のはじまりだ・・・

そして逃げないと生命の危機に立つかもしれないと、理論的ではなく、本能的に私は結婚という選択をして逃げるという形をとるのだ。

そんな理由での結婚だから、上手くゆくはずもなく数年後にその結婚は破綻する。

人生において、最初にサイコパスの影響をうけた私の歴史の一つだ。

私は芸能人でも、アイドルでも、政治家でもどことなく、嫌だなと思っている人達はみなネットにサイコパシーな人達とさらされている。

自分でも嫌になるがサイコパスへの感知能力が高いのである。

ある女性はネットに、自分はサイコパスホイホイサイコパスを呼び寄せる自虐ネタを語っていた。

ある知人の女性と喋るとなぜか私の顔の左部分がいつも痺れるようになるのだ。

その時は何でそのような現象が起きるのかよく変わらなかったが、今にして思えば、その人の目が私を餌としてみているので、私の脳は本能でそれを無意識に感じていたのかも知れない。

ハイエナに狙われた、小動物の気分だろうか(笑) 

中野信子氏(脳科学者)は言う
サイコパスから人はどう見えるのか?

ゲームの背景の一人の村人、人生はゲームのように捉えているサイコパスにとっては人はものにしか見えないとも言う。

つづく

サイコパスと私①

私は自営業の父と、家族を何より一番に愛する母によって愛情一杯に育てられた。

たとえ、父からゲンコツをもらっても、裏にある愛情を感じることができたのだ。昭和の良き時代だ。

だから近い未来にあらわれる自分に理不尽な攻撃する人間がいるなど、とても想像もできなかった。

私は子供の頃より変わった子であまり群れに入るようなタイプではなかった。

女子グループが繰り広げる特有の仲間はずれとか、仲良しとか、横目で見ているタイプだった。

人のことはどうでもよくて自分が楽しければいい、だから私は貴方に関心をもたないので、貴方も私のことに関心を示さないでねと、子供ながらにいつも願っていた。

しかし人間というものはそんな簡単に生きれるものではなく、私と変わった関係を築いて色々な形で支配しようとしてくる人種がいかに多いことかそして否応なし遭遇する。

そんなことが分かってきたのは大分、大人になってからだったと思う。

昨年より、今話題のサイコパスの勉強をしてみて、はじめて私の人生において如何に大きな影響を及ぼし、苦しめられてきた人種達を思い出す。

その人達に「サイコパス」という名前がついていたことにある種の感動を覚えたのだ・・・・

相手の意味の分からない言動、思考などに理解が全くできない。どう考えても相手に正論性を

見出せない。私が悪いの?長い間、出口の見えないトンネルにいて少しの灯りが見えたような気分だった。

今やサイコパスを題材にした本が沢山出ている、
名越康文氏のサイコパスの話、マンガ。
中野信子氏のサイコパス。
原田隆之氏のサイコパスの真実など。

ネットにいたってはこの人誰?という人でもサイコパスを語っている状況だが、少し資料としてサイコパスについて明記しておく。

精神医学では「反社会性パーソナリティ障害」のことをサイコパスという。

こう聞くと何か犯罪者とか、闇社会の人などを想像してしまうが、サイコパスは日本では100人に1、2人いると言われている。

アメリカでは人口の4%という研究結果もある。

だからサイコパスはシリアルキラーのようなドラマに出てくるような殺人者かと思いきや実は身近に存在する人達なのだ。

近年サイコパスの研究が劇的に進んで脳科学からのアプローチも増えてきた。サイコパスの脳は扁桃体と呼ばれる部位が正しく機能していないという特徴もあることがわかって来た。

だから 
●他者に対する共感性がない
●後悔や罪の意識を感じない
●責任感がない
●平然とうそをつく
●性的に奔放
●恐怖心がない 
などの特徴がある

こうは言っても、まだ漠然としてしまうかも知れないので、私と対峙するサイコパスにより、どのような攻撃を受けるのかを明示して、何か分からないがこの人といると具合が悪くなり嫌な気分になるなどの日常に陰りをもって苦しんでいる人が少しでも前向きに明るく生活できたらと思い、あえてこのテーマに臨みたいと思う。

幸せに生きること(サイコパスに対してそれが一番の報復になる)良心を持たない人達より

つづく

更年期障害を乗り越えた私⑤

更年期障害を抱えての新たな任地は北の大地 北海道

前任地を逃げ出すように、北海道に降り立った私は、正直ヘロヘロだった。

そんな私の癒しになったのが、大地の土のエネルギーとか、牛の可愛いさだ。

私が行くあらゆるところに牛、馬などがいるのが北海道。

動物はどちらかというと苦手であった私だが、悲しみ一杯で胸が押しつぶされそうになったとき、牛と目があってその可愛さに何度救われたことか・・・

こんな時だからこそ大自然から与えられるエネルギーは侮れないと知らされた。

また旭川にある治療院はいつも患者さんが沢山いる有名治療院だ、東京からも患者さんがくるほど。

そこのロックな感じの先生の治療がこれまた素晴らしいこともあり、私は北海道での仕事を何とかこなすことができた。もちろん、そこでも産婦人科を探して、HRTの治療も続けた。

そこの医師は男性だったので、これは長くする治療ではないよと苦言を言われた・・ふっう~

そんなある日、新規プロジェクトがはじまる為、関東に呼び戻される。

そこではマネージャー業になった、失敗させてはならないという使命感により、がむしゃらに働く。

チームの人間関係の調整だとか長い移動距離の運転だとか無理を重ねていった。

HRTの治療を続けていれば下手なことはないであろうという過信から休みも取らず働く、夜はくたくたで何もやる気が起きない状態で令和という時代に入ったのだ。

このままでは以前のような状態になってしまうと、「休む勇気」の大切さを実感し、1か月間の仕事を全てキャンセルしたのだ。

それが容易ではないことは私自身が一番よく知っていること。

今回つくづく知らされたのは、いくらHRT治療をしていても、過労やストレスにより症状は悪化してしまう。

若い時は何とか持ちこたえることができても、一度疲弊した精神と体には当然、休養が必要であること。

人生の折り返し地点に立ち、私は多くの時間をもらった、この時間を同じ苦しみをもった女性達と共感し少しでも向上できたらと願ってこのブログを立ち上げた。

更年期障害は女性に限ったことではないので、男性方もお気をつけてくださいませ。

さてさて、次回はお約束通り、サイコパスについて記述していきたい。おわり

更年期障害を乗り越えた私④

HRTの治療が開始され、3回目の通院の時に黄体ホルモンを処方され、一度とまった生理を 起こすこととなるっと言っても、これは医師いわく生理のようなものということだ。

私はエセ生理と名づけているのだが、つまり子宮内膜をきれいにしないと子宮内膜が増殖 して子宮体がんの一因となるので、生理様によって子宮のお掃除がなされるのだ。

女性の皆さんなら経験があるだろうが、月1度の生理は本当に女性にとっては苦痛の何者 でもない、しかもあれだけの大量の血液が身体から流れ出るのだから大変な血液、水分の入替えだと思う。

更年期になりよけいに生理というのは子宮の掃除としか私には思えないのだった。

黄体ホルモンを処方され朝、晩のみはじめて、10日目にエセ生理がはじまった。

治療がはじまったことで身体は少し改善の兆しがみえてはきたものの、私を取り巻く環境の悪化は依然変わらなかった。

この更年期障害もそうだが、環境、ストレスが大きな影響をもたらすのは間違いない。

母の死後、今にして思えばもう1ヶ月は休暇が必要だったのだ、癌患者の看病は精神的に強い私でもとてもダメージとなった、そして母を失った悲しみ、喪失感を抱えながらの仕事復帰はそれはそれは苦しいものである。

一旦仕事がはじまれば、私の個人的感情や体調などはお構いなしだから、ストレスはたまる一方なのだ。

そして当時はまだそんな言葉も認識できていなかったのだが、私の身近な人にサイコパスがいたのであった。※サイコパスについてはこのシリーズのあと詳しく明記したい。

ここにいたら私は生きてはいけないと決意をし、上司にここから異動させてくださいと願い出た。

更年期障害の病状を訴えた私に、男性上司はホルモンって怖いですね・・とぼそっと言ったその言葉に、私自身妙に納得してしまったのだ。

更年期障害をかかえて、新たな任地へと出発するのである・・・・つづく

HRTの治療のメリット、デメリットはネットなどに沢山でているので参照願いたい。これはあくまでも私の更年期障害の体験記である。

更年期障害を乗り越えた私③

今回はもう少し女性ホルモンが減少するとどのようなことが私に起きるのかを述べておきたい。

私は子供の頃からマンガが大好きで、いい大人になっても月刊誌のマンガを何冊も読んでいた。

特に小学生の頃から毎週月曜日に必ず読んでいたのが週刊少年ジャンプである。

そんなマンガ好きの私がどうしたことが、ジャンプの立ち読みがおっくうになってしまった。そしてついには一冊も読めなくなった。

そのことは自分の中でも青天の霹靂だった。

そして排卵がとまったということは、分かりやすく言えば子供ができなくなるということなのだ。

若い頃はある種、男性と付き合う時に一番恐れていたことは妊娠することだった。

当時、仕事を失いたくないからである。

それがもう自分には起きないという現実を目の当たりにした時に、何か足りない女というレッテルをはられたような気がした。

当然回りの男達にはそんなことがわかるはずもないのだか・・・

そんな変な感情をもっている私だから目の前にいる男性と上手くゆくはずもない。

その男性がよく言う”めんどくさいという言葉に酷く傷つき、ひきずるのだ、昔ならそんなこと言われたらパンチしていただろうに・・そして、私は生まれて初めて振られるという悲しい経験をすることになる。

母が亡くなって悲しいこともあり涙が毎日とまらない。

腫れぼったい私の目は、ますます腫れあがり、とても自分の顔を鏡で見るのが苦痛となって真面目に整形手術を考えていた。

この顔が変わればまた女として自信がつくのかもと、とんでもない思考回路になっていった。

当時よく男性に私、女として魅力的に見える?などと、今ならとても口に出せない、とても鬱陶しい質問を恥ずかしげもなく聞いていたのだ(ああ~思い出すのも恥ずかしい~)

今にして思えば女性ホルモンの減少による病状だったのだと知らされる。

HRT治療をはじめると、少し精神も落ち着いてきたのか、毎月の煩わしい生理もなくなりちょっと開き直りを感じはじめた頃、女医は「女性ホルモンの数値も上がってきたから、今日から黄体ホルモンを処方して生理をおこしますよ」と淡々と告げられる。

え~うそ~ ナプキン全部後輩にあげちゃったよ~また買わねば・・・などとどうでもいいことを考えていた私だったのだ・・・生理が止まったのになぜ生理を起こす???つづく

更年期障害を乗り越えた私②

産婦人科医の医師から告げられた病名が更年期障害だった。

まずは女性ホルモンエストロゲンを処方してもらった、お腹に貼るパッチ式のもの、そして気分の落ち込みなどは漢方薬を処方してもらった。

薬局で私の名前を呼ばれた時、それが自分に起きている現実ととても思えず返事ができなかった。
あっ私呼ばれていると気が付いて顔を上げた時、はじめて同じ歳くらいの女性がこれまた同じ薬を処方してもらっていることに気が付いたのだ、ああ、私だけではないのか~と何となく安心したのを覚えている。

自宅に戻り、私はネットに出ている更年期障害の事例を片っ端から読んだもう読む記事が無くなった時、はじめて自分の病状の原因が女性ホルモンの減少によって起きているということが分かり、そしてその治療に入れたことがとてもラッキーであったことを知ったのだ。

若しこれが分からずにそのままにしていたら、産婦人科以外の病院に行っていたらどうなっていたのかと思うと少し寒気がした。

この治療をHRTと呼ぶ、欧米諸国で普及率は40% 日本はわずか1.5%。
ある男性の医師はこのHRTの治療をあまり推奨していなかったその理由として不自然なことをしては体に余計負担をかけるということだった。

でも実際、病状が出て苦しんで、それに治療法があるなら受けない理由はないとHRT治療を開始する。・・・つづく

更年期障害を乗り越えた私①

母が74歳の時に、末期がんになり、仕事を休んで看病に実家に帰る、半年の看病へて、母が亡くなり仕事に復帰した。

この頃より体調の異変を感じはじめる私は当時、大阪でセミナーや講座をする仕事をしていた。

冷え性の私が、講座の最中に滝のような汗が出て、スーツが汗でぐっしょりとなるほど、それだけではないなぜか汗と一緒に涙が止まらないのである、回りの人はお母さんを亡くしたばかりだからと同情の目で私を見ていただろう。

なぜだか分からないが夜一人になると、大阪湾に飛び込みたくなる衝動に駆られるそして何より辛かったのは三度の飯より寝ることが大好きな私が朝まで眠れなくなってしまったのだ。

そんな最悪の朝をむかえて講座に立たなければならない日の辛いこと辛いこと。
私何か悪い病気にかかっているのではないかと心配していた時にふっと思い出したのが、あれ生理がきてない・・・・?

そこですぐに産婦人科にかけつけた。待合室で待っていた時HRTについてというパンフを見ていて驚いた、自分の症状が詳しく書かれていた。

そこで婦人科の先生に私これだと思いますとパンフを差し出したのだ。
そして血液検査の結果、排卵がとまってます、間違いなく更年期障害ですねという女医の言葉にえ~え~え~と何回言っただろうか?

まじか~ 40代後半の誕生日をむかえたばかりだった、ここから私の更年期障害との戦いがはじまるのだ。つづく