女=男=私⑤

今回テレビを見ていて、とても驚き感動したことがありました。それは演歌歌手の男性がそれこそ性別を超えて、新たなジャンルで露出したからです。

それはまさにトランスジェンダーであることを公然とカミングアウトしたとしか思えませんでした。前からオネエ言葉を使うなどの噂はありました。

しかしあまり演歌に興味の無い私などは、どうでもいいよというように思っていたのです。

そんな興味の無い演歌歌手にとても感動したのは、正直、その方が男性、女性などの性別はどちらでもかまわないのですが、今まで築いてきた自分の立ち位置を変えてまで、自分らしく生きたいという思いの強さにです。

ズンズンズンドコと歌っている姿をよく見ていた私にとっては、今回の姿は似合っているのかといえば、う~と思ってしまうのですが・・・しかしそんな回りの、他人の反応より自分の人生を生きていきたいと、自分の真の姿を世に出す勇気に私は胸が一杯になったのです。

だってそこまでに至るまで、どれだけの葛藤や苦しみを乗り越えたのかと想像すれば誰がそれを非難したり、笑ったりできる他人がいるのでしょうか?

虚像に耐えていれば、その人にもたらされる、名誉や金銭とご褒美があたるということも充分に分かっていても、曲げられない自分の姿を貫き通すことは、そんな簡単で単純なことではないことも少なからず分かるような気がします。

このシリーズの冒頭にも言いましたが、男、女などの区別、差別って生活には必要なことなのかもしれませんが、たまたま、生物学的な性別とその人の自覚の性別が違うこともあると思います。

その人達が回りに迷惑をかけないのなら、私達も誰が決めたか分からない釈で正しいとか普通でないとか、その人達を非難攻撃して、迷惑をかけてはならないと私は思うのです。

男性、女性という区別に入らなくても、自分らしく生き抜く貴方を、私を応援したい・・・

お・わ・り

女=男=私④

離婚後に旧姓に戻せるのは、籍を抜いて半年内だという。

半年経つとその名前で戸籍が確立し、旧制に戻すには家庭裁判所に申し出なくてはならない。

と聞かされた私はどうにも腑に落ちない気持ちを抱えて、とりあえず知り合いの弁護士に意見を聞いた。

とてもやさしい女性弁護士なので色々と調べてくれたのだ。

以下私の経験を列記しておく。

●まず家裁に出向き書類をもらってくる。

この書類は現在の氏名から、戻したい旧姓などを書くのはもちろんだか、なぜ旧姓に戻したいのかの理由を書かなくてはならない。

もちろん裁判の案件ではないのだが、この書類いかんによって旧姓に戻せるか決まるので、弁護士と相談しながらの論文を書くような気持ちだった。

理由といっても自分が戻したいからなどということはそれこそ理由にならない。

しかし丁度、時同じくして、元主人の再婚が決まったのだ。

私はこれを理由にしようと思いついた、それはそうだろう再婚相手にとって元妻が同じ名前を名乗っているなど、とてもいい気分はしないだろう。

本人に聞いた訳ではないが理由にさせてもらった・・・・・すみません(>_<)

というようにこの書類を無効にされては困ると、けっこうな真剣さで私は書いた。

そして家裁にこの書類を提出。

そして可決か否決かの判定を待つ。

指定された日に家裁にゆき、判決を聞くと、姓の変更許可がおりた。

やった!!と心の中で叫んだ。

家裁の許可がおりて、7日以内?だったかに戸籍の変更をしないと無効になるとのこと。

これも、はあ~と言いたくなったが、すぐに市役所にいって氏名の変更手続きを行った。

そして案の定また、免許、銀行、印鑑などの名前の変更手続きを余儀なくされるのだ。

現在は結婚の際に男性の姓、女性の姓どちらでも選べるが、しかし実際見聞きするのは男性の姓にするのが一般である。

だから男性が結婚、離婚してもこんな苦労をしなくてもいいのは明白なこと。

なぜ女性だけ??と、どうにも私は納得がいかなかった。

今度、若し何かの間違いで私が結婚する時がきたら、私の名前にしてくれるという男性を選びたいと思う。それが嫌だという男性とは申し訳ないが縁がなかったとしよう・・・・

そんな日が来るまでに、夫婦別姓の法律改正を願ってはいるが、まあ無理な話しなのかな、と

諦めている今日この頃である。結婚という儀式が、女性=男性になる日が来るのだろうか??  つづく

女=男=私③

よく離婚経験者が口にすることがある、結婚の倍、離婚は大変だと・・・

経験ということは個々によって受け止め方が違うので、そんな言葉を聞いても私は深く受け止めて いなったが、自分が経験してみて、まさにその通りだった。

結婚は家族、親戚、知人は喜んでくれるイベントではあるが、離婚は喜んではくれない。

また、反対されるという苦労がある。私の場合特に母親に反対された。両親が地元で商売をしていた。

また元主人がその父の後を継いでいたこともあり、離婚を知られたくないという両親の意向があって旧姓に戻すことを諦めた。

もちろん意に反していたが、それよりも何よりも離婚を早く成し遂げたがった私は名前ぐらいいいやと思い結婚時の名前を名乗った。

そしてほとぼり冷めた頃、旧姓に戻そうと考えていた。

名前を変えなかったことで、離婚の手続き自体は結婚ほど大変ではなかった。

それから瞬く間に時間が経ち、2年ちかくの月日が流れた。

離婚から月日が経てば経つほど、自分の名前に違和感を覚えるようになってきたこの姓は自分の名前ではない、もう関係を切った元主人の名前なのだということ・・・

そこで、そろそろ旧制に戻そうと、市役所に相談に行った、そこで簡単な手続きだろうとたかをくくっていた私に窓口の係りは言う。

「貴方は離婚後半年以上経っていますので、ここでは旧姓に戸籍を変えることはもうできません、どうしても旧姓に戻したいのなら、家裁に申し出てください」と思いもよらぬ答えに驚いた。 

家裁とは??家庭裁判所??なんで??

ここから私の氏名変更のプロジェクト??がはじまるのだ・・・・・つづく

女=男=私②

時代は平成で私がまだ独身で20代半ばだった頃、ある宴会の席で私は結婚する時は夫婦別姓にしたいという思いを素直に述べてみた。

その場にいた男性弁護士は結婚すると女性は名前が変わる為、今までの履歴が消えてしまうので弁護士の女性でも別姓を希望する人が増えてきたと言っていた。

それを聞いていた30代の男性は、それでは夫婦になる意味がない、姓が一緒でこそ夫婦ではないのかと主張していた。

夫婦別姓は力のある女性の進出には必要なことではないかという意見でその話しは終わった。

男性と女性っていうのは立っているところが違うな~と正直思った。

そして私はその時決意する。

法律が改正されて私が結婚する時は絶対別姓にしてやる~~と。

しかし、私がその後結婚した時も、令和になった現在も夫婦別姓の法律改正はされていないのだ・・・・これでいいのか日本と???と私は問いたくなる。

夫婦で一緒の姓にしたい夫婦もいるだろう。

女性でも愛する男性の名字を名のりたいという人もいることも分かる。

子供の問題もあるだろう。

全く問題が無いわけではないことも理解できるし、夫婦が同じ姓を名乗ることを夫も奥さんも納得していればそれでいいこと。

だからこそ多くの女性は男性の姓に変更する。

だけどそこに疑問符をもち、意味を見いだせない女性がいることもまた現実なのだ。

女性自身のキャリヤの問題とか別姓を希望する女性の意見がある。

外国では当たり前のこととして施行しているのに、法律改正を反対する人達にとって夫婦別姓は何か不利益なことがあるのかと変に勘ぐってしまいたくなる。

かくいう私も20代後半で結婚した、当然のように相手の姓に変えた。

入籍するイベントは同時に自分の名字を変えるということなのだ・・・

銀行のカード、印鑑、自分の名前がついているあらゆるものを全部変更しなくてはならないのである。

その行為はなぜだか女性に強いられるのだ。

そして離婚するときにも、日本社会の戸籍制度が如何に男性優位に作られているのかを思い知らされることになる。 つづく

女=男=私①

私は生物学的にいうと女性、雌と区別される。昨今はトランスジェンダーの問題とか、そもそも男と女の分類とは何なのかということも社会問題の一つだ。

この世を平穏に生活する為にも何事も区別が大事なことはよくわかる。幼稚園、保育園からはじまって組み分けからなされるのだから。

生まれた時にはまず♂、♀とカルテに書かれ、区別されるのである。

区別は色々あって当然なのかもしれないが、それによって差別される、生きにくくなるということは別問題なのではないかと考える。

カテゴリーは色々あっても女がダメ、男は良い、ましていわんやトランスジェンダーはカテゴライズもされないでは、現代社会に生きる人達として少しお粗末ではないのか。

そこで、私は女=男=私という方程式について考えてみた。人間はみな平等とはいえそうになっていない現実社会を私目線で申し訳ないが、掘り下げてみたい。

私が小学生の頃はまだ、ロリコンなどという言葉が珍しい時代だったので、部活動の帰りに夕方ブルマー姿で自転車で帰ったものだった。

それを母親に咎められることもない時代だ。

ある日、母が庭で洗濯物を干しているのをぼんやり見ていた時、電話が鳴った。

とると、若い男性の声だった。

何かアンケートに答えてくださいとのことだった、生理はいつ来たかという問いには何の疑問にも思わず答えていたが、その男の声がだんだんと息遣いがあらくなってきて私は直観的におかしいと思いはじめ、お母さんこの電話おかしいよと母に受話器を思わず渡したら電話は切れてしまったのだ。

母はすぐに小学校に電話をかけ、変態男の危険性を訴えたのだ。

その翌日、ホームルームで担任の先生から、昨日 〇〇ちゃんの家にこのような電話があったので皆さんも気をつけてくださいと、クラスのみんなに発表したのだ。

何か、自分が悪いことをしたかのようなあの居心地の悪さ。

私は女性という生物に生まれたことの恐ろしさ、また恥ずかしさを自覚せずにはおれなかった、はじめての出来事だ。

そしてそれが大人になってゆくともっと大きな影となって女に区別された私という人間に襲い掛かってくることを幼い私にはまだ予想ができなったのだ・・・・つづく

サイコパスと私⑧最終章

サイコパスという言葉は巷で見聞きするようになってきても本当に理解できている人はまだまだ少ないと思う。

それは実際にサイコパスより攻撃を受けた経験のない人にとっては遠い世界のドラマや漫画の登場人物でしかないから、サイコパスの生態を知ることの重要性はないのであろう。

私はある意味、サイコパスと共に人生を歩んできたといっても過言ではない。

色々な本を読みあさり、ネットで調べたきた。その結論はサイコパスは絶滅危惧種では

ないということ。

サイコパスの真実著者原田氏は言う

サイコパスが絶滅せずに、現代まで生き延びてたということは、その存在は人類全体に対しても何らかのメリットがあるのかもしれない」

カマキリのメスに交尾の後、どうしてオスを捕食するのかとカマキリを責めてどうなる。

だってカマキリだから・・・・

そのようにサイコパスに何で人の痛みが分からないのか、みんなが苦しんでいるのに分からないのか、と言っても無駄なのだ、だってサイコパスだから・・・・

ということは共存するしか道はないのだ・・・・

連日テレビでは、それこそサイコパスのような夫婦や恋人達に、虐待され命を落とす子供たちの悲劇が報道されている、幼児はサイコパスの両親から逃げられない、本当に痛ましい現実だ。

しかし私達はどうだろう?たとえサイコパスから攻撃を受けても、そこから逃げる術を持ち合わせているのではないか、そんな選択肢がもてるのだ。

サイコパスの話 名越康文医師

「虐待が連鎖するといいますが、まさにそれのような気がします。自分の上司にやられたのとつい同じ方法で部下をいたぶる、罵倒する、人格を攻撃する、さらに部下の成果を横取りする、異常なほどこき使うなどの可能性があります。もしパワハラを受けていて、寝られない、朝から気が重い、会議前に汗がでるといった症状が出ているならば、今すぐ転職を考えるか、配置換えを願い出るなどの行動を起こしたほうがよいことは事実です。配置転換まで何年か耐えてようやく開放された瞬間うつ病になっていたり、身体的な疾患になっていたりとか、パニック障害になっていたいりという可能性があります。そこから治療するのに何年もかかったり、場合によっては一生を棒に振る可能性すらある。そういう上司や家族からいつもストレスにさらされている人は、パンチドランカー的に鈍感になってしまっているので客観的に判断しなければなりません」

サイコパスにどのように向合うのか?逃げるのか?立ち向かうのか?関わりを断つのか?

さあ貴方はどうする?? かけがえのない私の時間をサイコパスの為に奪われたのでは勿体無い

明るい未来の時間を取り戻す参考にして頂けたらと思い書いていると

シリーズ⑧まで来てしまった。

人生を選択するのは貴方自身であり、私自身なのだ。 お・わ・り

さて次号はいよいよ、私が一番、世に発信したい本丸に入るとしよう・・・・

サイコパスと私⑦

サイコパスは歴史上でも、多くの大衆の上に立つ人達でもあった。

ヒトラーが国家のトップであって、恐ろしい政策を考えてもそれを国民に伝える通訳者のような存在が想像できるとサイコパス解剖学には書いてある。
(ヒトラーについては存知のことなので割愛させてもらう)

※ヨーゼフ・ゲッペルス 
ヒトラー率いるナチス政権下で宣伝全国指導者、宣伝大臣を務める。

ヨーゼフのようにスケールはでかくなくても、組織を率いるサイコパスに寄生して自分の欲望や達成感を得ようとしている者が必ずいるはずだ。

いるいるといいながら、この記事を読んでいる人達が目に浮かぶ・・・・

直近の部下がサイコパスに、「貴方のやることは血も涙もないですね」
と面と向かっていったら、サイコパスがどうなるのかよく知って学習しているのでそんなことは絶対に言わない。

そしてサイコパスのターゲットを一緒に攻撃して、やがてサイコパスと同じ行動をとるようになる。

偽サイコパスの出来上というわけだ!

そしてサイコパス軍団は閉寒主義だ。

情報が行き交ってはだめで、風通しがよいことを嫌うのだという。

完全な秘密組織の中にこそ、サイコパスは存在できる。なので、当の本人が亡くなってから その人はサイコパスでこんな酷い仕打ちだったといわれ多数の証言者がでてくるのだ。
マザーテレサ、スティーブ・ジョブズなど。

歴史を見れば見るほど、ブラックな組織体、それを率いるサイコパシーな幹部の行いが暴露されることは必然なのであろう・・・つづく 次回最終章

サイコパスと私⑥

サイコパスは相手が自分の言動によって動揺したり苦しんでいると、アドレナリンが出ると言われる。退屈が我慢ならないサイコパスは常にそのような餌を探して、相手を見つけると搾取をはじめるのだ。

ではどのような人が狙われるのか?

●自責意識が強い ●責任感、正義感が強い ●気が弱く言い返せない、など

上記のような人にサイコパスは利用価値があると判断すると、寄生して捕食がはじまる・・・

被害者がどんなに辛そうにしていても容赦がないのがサイコパス

サイコパスの家系図を見ると、自殺者、病死、うつの人が身近にいると、どこかの本に書いてあった。

私の知り合いにサイコパスの父と祖母を持つという彼女は、サイコパスの勉強仲間の一人である。その彼女はサイコパスに対してとても強いメンタルを持っていて羨ましい限りだ。

サイコパスに対して強い人は稀である。ほとんどの人が一緒にいるとやられてしまう。

だから別の人はやはり父親がサイコパスでその父親からの日々の攻撃に、やはりうつ病を発症してしまったのだ。

優しい心をもった人の善意をとことん利用して搾取する。

だからこそ、私にも悪いところがあるから我慢しようとか、またサイコパスを改心させようななどは、全くの無意味である。

若しサイコパスから関係を絶ってくるようなことがあるならば、それは貴方に利用価値がなくなったということなのだ。

振り返ってみると、人生で最悪の状態の時にあっさり私という人間を捨てた人がいた。

私に利用価値がなくなったのだろう。

餌として美味しくなくなったのだと思う(笑)今にして思えば、その人はサイコパスの特徴をもった人だった。

またサイコパス同士で夫婦になったり、恋人になったりする例も少なくない。

サイコパス同士惹かれあうと結果もあるそうだ。私はサイコパス夫婦にこっ酷く

攻撃を受けたことがあった、奥さんが主人の悪口を言ったので相談にのってしまった。

酷い主人だね、などど乗っかってしまった為に、回りに私達夫婦を離婚させようとしている

などど吹聴され、私は上司から注意されたのだ。サイコパスは自分の弱さを少し出して

近づいてくる、弱いものを守るのが普通と育てられた私はよくこの手に引っかかり

痛い目にあうのだ・・・・・

そしてもっと恐ろしいのが、サイコパスの支配下にはいり、そのサイコパスの捕食を手伝い、サイコパスの代弁者となる人達がいる、サイコパスは自分の忠実な部下には餌を与えて支配するという形をとる、餌を与えられた配下のもの達はその支配にあぐらをかき、どうすればサイコパスの執拗な攻撃に合わないかよく学習し、自分達もおこぼれをもらって生きている人達なのだ。

そのような人達は、被害者に対し一緒に 攻撃をし自分の身を守る、ある意味サイコパスより恐ろしい人達かもしれない。

つづく

サイコパスと私⑤

マンチェスター大学の付属組織マンチェスター・ビジネス・スクールの研究チームが、イギリスの心理学会の会議で発表したと伝えられているこの調査結果。

様々な国・職業の男女1200人を対象に、精神的な健康状態、職場でのイジメによる有病率、上司の性格について質問を行った。

するとサイコパスナルシストの性質を持つ上司のもとで働く人々は、以下のような傾向を示しがちであることが判明したという。

・うつ状態にある
・周囲に対して嫌な態度を取る
・仕事の効率が悪い
・仕事の満足度が低い
・職場イジメが起こっている

またある精神科医はいう

サイコパスもしくはその傾向のある人に虐待されたりハラスメントを受けたりした被害者がパニック障害やPTSD症状を呈して受診されることは、しばしばあります。
私はそんな被害者の治療をしながらも、たびたび加害者の存在を意識せざるを得ません。」

自分と向き合う相手がこのような状態になってもサイコパスは自己嫌悪になったり落ち込んだり、本人がうつ病になることはない。

もちろん責任感もない。

私はもともと気が強いのでパワハラなどを受けても言い返してしまうのだが、何でこのような思考になるのか、意味がわからない??

そんな相手の言動がストレスでストレスでたまらなかった。

サイコパスに意味や反省を求めても無意味と分かったことが昨年サイコパスを勉強した私にとっての大きな学びとなった。

ではサイコパスからの攻撃を受けて自分の身を破滅させない為にはどうしたらいいのか?

多くの本やネットに出ている対処法によると、一番は関わらないこと
とあるが、

それが直近の上司、または家族、恋人であって逃げるに逃げ切れない立場であったならどうすればいいかといえば、回りの人に情報を共有し、誰かに聞いてもらう、一人で抱え込まない

ところがサイコパスは回りに本当の姿を上手く隠して、また多方面で優れていて、魅力的な人も多いので、支持派も少なからずいる。

誰かまわず話すと余計に辛い目に合うことも間々あるので気をつけてもらいたい。

私の痛い経験である(そのことは次回に・・・)

だからこそサイコパスを良く知っている専門家などに相談するのがよいのだ。

ではどんな人がターゲットになりやすいのか?? つづく

サイコパスと私④

あれはまだ私が小学生の時だった、市内のプールに友達と遊びに行った時のことだ。

飛び込みができるようになった私は、回るプールなど、もう卒業などと、ちょっと大人ぶって水深2メートルの飛び込み専用のプールで飛び込みを何度か楽しんでいた。

また飛び込みの台に行こうと、プールサイドを歩いていた時に、何かが頭にあたって私の身体はプールに落ちていったのである。

深さ2メートルもあるとブクブクと落ちてゆく、何が起きたのかよく分からなったが、私は幸いにも泳げるので沈んでゆくときもそれほどの恐怖は感じていなかった。

それよりも、大人が遊ぶプールで、小学生が落ちたということで、騒ぎになるのは子供ながらに恥ずかしいので、早く上がりたいと何とか、プールサイドに泳ぎつき上がった。

そして私は何が当たってそのように落ちたのか?そのあたりを見た時に、高い椅子に座ったまだ若い監視員が暇そうに、足をブラブラさせていたのを見て、あの足に当たったと分かったのだ。

そして真っ黒に日焼けしたその若い男の顔を見た、口角が上がったのである、笑った??

目だけはまっすぐ前を向いていた、こちらを見る様子もなく何事もなかったように座っていた。

私はその瞬間、この人は何者?間違いなく私が落ちたことは気が付いていたはずなのに・・なんとも言えない違和感を覚え、友達が待っていた場所に戻る。

今起きたことを友達に話すことがなぜができなかった、普通に育っているこの小学生達には恐らくあの大人の存在は理解はできないだろうと私は薄々感じていたからである。

私の知っている大人達は、大丈夫だったとか、足が当たってごめんとか、まず落ちた私を心配する人達だと思っていた、それが心からでなくても表面的にはそうするものなのだと子供ながらの知識である。

しかしその理屈が通らない人がいるのだなあ~と私の胸に深く刻まれた出来事だった。

そして大人になってゆくと、そういうサイコパシーな人種に必然的に交わらないといけない場面が出てくるのだ。

その時々の立場によるが、これが私の馬鹿さと言えると思うが、相手に色々な形で反省を求めてしまうのである。

つまり戦ってしまうのである・・・・・

その人はとても魅力的で異性からも沢山のアプローチを受ける、俗にいうモテる人である。

人に私の彼氏、彼女ですと紹介しても、誰も反対意見をいう人がいないような人。

過去にその人に大変な嘘をつかれたことがあるので、その人になぜうそをついたのか理由を聞く為に一緒に食事をした時のことだ。

当時私はまだ若く、人間は話し合えば何とかなるものだという幻想をもった甘ちゃんだったのだ。

そのような場面はこちらとしてもとても気分が悪いことなので目の前にだされた食事にとても手をつけることができなかった。一口ぐらいを口にするのがやっとだった。

しかし目の前のその人は口に一杯食事を入れて、淡々とモグモグと口を動かし、なんで食べないの?というような顔で・・・だけど相変わらず目だけは笑っていなかった。

それはあのプールで出会った監視員を見た時のような同じ違和感だった。

サイコパスの特徴に罪悪感、自己に対する嫌悪感の欠如がある。

誤解してもらいたくないのは上記のような人達を決して攻めているのではない。

そんな人達に反省してもらいたいなどと思って長い間エネルギーを費やしてきた私の人生の馬鹿さ、愚かさの吐露なのだ。

メンタルが弱い人が多くなってきた昨今、サイコパスのメンタルは見習うべきところがあるなどという諸説もあるほどだ・・・・

サイコパスとは戦ってはならない!

ではどうする?? つづく