夢はかなうの?40

私が地元に帰って来て、自宅の最寄りの駅の近くでビールでも飲んで帰ろうと思ってBARを探したがなかなか見当たらない。

中心地の駅でなく郊外の住宅街の駅だから?地方都市だから?

それにしたってちょっとした小洒落たBARの一軒ぐらいあってもよさそうだが・・・・・

もちろん、居酒屋やレストランはある。

皆、思い当たることがあると思うが、誰かに自分の悩みや出来事を聞いてもらいたいこともあるだろう。

それも知らない赤の他人に聞いてもらいたいことの方が尚更多い。

家に帰る前に、BARに立ち寄りそこのマスターやバーテンダーに自分の心の思いを吐露して、静かに聞いてもらい、そして願わくは一言をもらえたなら、それがたとえ叱咤であったとしてもその夜はいい気分でベッドに入れるのではないかと。

そんなささやかな居場所が欲しくて私は日夜BARを探す。

しかし自分が望むような店になかなか出会ったことがない。

そこで、ならば自分の行きたい店を自分で作ってしまおうっと!!

私の地元は閑静は住宅地である、そこにBAR&カフェをやりたいと思ったのはそんな理由もあるからだ。

理想は、自分の行きたい店。

そこを目標に夢にむかう・・・・・・

今日は日曜日、のんびり本を読んで過ごした。

スモールワールズ 一穂ミチ氏 

ここに出で来るような主人公に出会いたい。

だから私は街の片隅のBAR&カフェで待ってる・・・・・・

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つづく

夢はかなうの?39

今日は朝からドキドキの一日でした。

それはリノベーション・リフォームの社長さんが我が家に視察に来られるからです。

この案件は無理とか、予算が合わないとか、イメージできないとかネガティブな思考になり、断られたらどうしようかと考えながら仕事をしていましたので、うっかりミスをしそうになりました。反省(:_;)

仕事を終えて足早に家に帰り、お待ちしておりますと、とても優しそうな方がワゴン車から降りて来られました。

猪俣さんです。

名刺を交換し、早速私の思いをお話ししました。

最初は猪俣さんはう~んと難しい顔をしておられました。

しかし私がどんどんマシンガントークを繰り返しているうちに木口さん元気ですね、と笑いながら仰ってくださり、なんか私自身もほっとしました。

そこから色々とお話しさせて頂きました。

BARをやることは私の子供の頃からの夢なんです、とお話しました。

こう話しすると、今までは、はあ?という顔をされますが、猪俣さんはいいですね!と言われ、気をよくした私は調子にのって喋りまくりました。

静かに聞いてくださっていた猪俣さんは、いいと思います、しかもこの家かわいいですよね。 

え~意外なお言葉に私は驚きました。

本心を言えば私も自分の家が案外好きで悪くないと思っていましたが人さまからみれば、こんなおんぼろ家どう見えるのかと不安に思っていました。

猪俣さんは続けてこの家なかなか今はないですよ。

この家の雰囲気をなるべく使いましょうと言ってくださり、私は嬉しくて飛び上がりそうになりました。

亡き母が大好きだった庭の木も伐採せずに、これに電燈をつけ看板にしましょうというアイデアをだしてくださり、これには猪俣さんに抱きついて感謝を言いたかったです。

もちろんできませんが・・・笑

なんとか今年中に引き受けてくだされるとのお返事に泣きそうになりました。

予算も何とかすれば何とかなりそうな範囲でした。

借入も考えていた私はほっとしまいた。

秋までにお金貯めようと思いました。

そして帰りに沢山私の家の写真をとって頂きました。

この家の良さを残していいものにしましょうとのご意見にただただ感謝です。

そして極めつけは「遊んでいいですか?」のお言葉にどんどんやっちゃってくださいとお願いしました。

あ~今年に入って一番夢に近づけた一日でした・・・・・

つづく

夢はかなうの?38沖縄編2 

実は私ははるか昔に沖縄に住んでいたのだ。

仕事で半年ほどであったが、仕事がなければ、私はずっと沖縄にいたいと思っていた。

そして沖縄を訪れるのは10回以上である。

そんな私が今回申し訳ないことにはじめて訪れたのが、平和祈念公園である。

もちろん沖縄戦のことは知っているつもりだ。

歴史で勉強したし、テレビの報道でも目にはしている。

しかし生々しい、住民の証言や写真を見たときの衝撃はかなりのものであった。

自分の顔が悲しみに歪んでいるのがガラス越しに映った。

日本が悪い、アメリカが悪いなどの次元でない、人間の狂気の沙汰を目の当たりにしてただただ苦しかった。

戦争責任なんて言葉さえもう陳腐にしか思えない、凄まじい現実、歴史に打ちのめされた。

この時代に生まれていたならば、この凄惨な写真の死体の山の一人が間違いなく私だったに違いない。

人間はそんなに強くない、だからこそ極限状態にいれば少しずつ人は狂っていってしまう。

過去の歴史はそのように狂っていった人達を感じても、声に上げて言える時代ではなかったのだろうと思う。

現在はどうなのか??

今、コロナという病気と全世界が戦っている。

ここにも正解など未だみつからない中、正義という言葉で他人を攻撃する人達がいることも確かだ。

それが狂気となっていかないことを念じるばかりだ。

そしてそんな現代社会に私ができることはなんだろうか?と考えてその答えを

夢にして向かっていく・・・・・

今まさに夢に向かう私にとって学ぶところが沢山、沖縄にはあった。

私の大好きな、沖縄そば、ブルーシールアイス、海ぶどう。
しっかり食べました。

また来るね沖縄・・・・

つづく

夢はかなうの?37沖縄編1

人生の色々な節目に私は旅に出る!

この1年間の色々な自分の思い、行動を反復しての旅である。

そして夢にむけて・・・

本来は海外に行きたいがこの時期はそうもいかないので、海にゆきたいと沖縄に来た。

もちろん楽しい旅ではあったが、今回は別の視点からこの旅を語りたいと思う。

まずは、何気なしに行ったやんばるエリアでのこと。

沖縄本島の最北端に位置する。

ここでは国の天然記念物のヤンバルクイナという鳥が観れる。

入館500円で、たった一羽のヤンバルクイナがみれる。

名前はクーちゃん。

絶滅危惧種で、ここではこの1羽を大切に大切に飼育しているのだ。

この1羽を観る為に多くの観光客が訪れるという。

なぜそんな稀少危惧種なのかというと、色々要因はあるが、沖縄の方々が多くハブの被害にあった為、ハブの天敵である、外来マングースを沖縄にもってきた。

そのマングースがやがて北上し、やんばる地区に入り、ヤンバルクイナやその卵を捕食するようになり、絶滅危惧種となっていった。

また、ヤンバルクイナは飛べない鳥の為、多くの車にひかれてしまう。

だからあちこちにこのような本土ではみられない標識がある。

そして、人間が犬などのペットを森に捨てた為にこれまた、ヤンバルクイナを攻撃する敵となっていったのだ。

この説明を読んだ私は、何ともやり切れない気持ちになった。

人間を守る為にやったことが結果的に国の天然記念物を破壊してゆく。

そしてクーちゃん1羽を守る為、それこそ大人たちは必死に活動を続ける。

かくいう私も、「クーちゃん頑張って生きてね」と声をかけて、係の人に苦笑された。

人間が生きる為、仕方ないとは言いながら、自然界を破壊しているのは間違いないことなのだ。

その人間がまた、自然的に発生したコロナに右往左往して、色々な策を講じようとしているが、そこに大きな間違いがないことを私は切に願いたい。

そして人間も地球に生息する動物の一つにすぎないのだから、人間だけが特別だというおごりは恐ろしいと思いながら、やんばる地区をあとにした・・・・・

おまけ 海におよぐ私・・・・・

つづく

夢はかなうの?36

52ヘルツの歌声についてもう少し語らせてください。

私にも、届かなかった声と聞けなかった声がありました。

それは私が北陸の田舎町でセミナーをしていた時のことです。

人口は数万人の小さい市で、当然私の講座を聞きに来ている人達はお年寄りばかりでした。

そんなある日、40代の男性が講座にやってきました。

一番前に座り私の話しを聞いています。

こんな町にも若い男性がいるのかと驚きました。そこにやって来てから

あまり若い人を見たことなかったので。

お年寄りばかりの中、もう次は来ないなあ思っていたら、また次の講座にもやってきました。

そこでどうしてこの講座に入らしたのですか?と尋ねると、父が亡くなり色々と考えさせられ答えを求めていた時、チラシがマンションに入っていたのでやって来たとのことでした。

住んでいる互いのマンションがすぐ目と鼻の先であったのもあり、年代の近かった私達はそれからすぐに仲良くなりました。

Nさんは奥さんとお子さん1人の3人暮らしでした。

仕事は身体をこわしてその当時は働いていなかったので、私の近隣の講座にもちょくちょく顔を見せるようになり、一緒に食事に行ったり、同じグループの30代、40代の人達との飲み会にも顔を出すようになりました。

とっても楽しそうで講座に可愛い娘さんもつれて来て、一生懸命勉強していました。

色々手伝ってくれるNさんを私もいつしか頼りにしてゆきました。

ある時、Nさんからの着信があり出てみると、洗濯物ほしているよね、雨が降るから入れた方がいいよという内容でした。

窓の外みるとNさんの車が通りすぎてゆきました。

彼は彼なりの親切心だったのだと思いますが、境界線を越えてる??

私の心がざわっと動いたのが分かりました。

私も当時色々なことがあり、生徒さんとの距離間に重荷を感じていた時期でもあったので余計に感じたのかも知れません。

そしてしばらくして私は関西へ異動することになりました。

Nさんのショックは感じ取れましたが、これも仕方ないこととの残念な気持ちとちょっとした安堵の気持ちを抱えて関西に旅たちました。

それから数年はNさんは元気そうでしたが、だんだんと講座にも顔を出さなくなっていったということを風の噂に聞いていましたが、私も慣れない土地での生活に余裕もなくだんだんと連絡もとらなくなってゆきました。

それからまた北陸にゆくようになったのでNさんに会おうと連絡しましたが、用事があって会えないという返事に、元気なんだなあと安心したことを覚えています。

それからしばらくしてNさんとの共通の知人からの電話がありました。

「Nさん、自殺したよ、それも自分の娘を殺して、今テレビでやっている」という相手の興奮した声に、私は言葉を発することができませんでした。

しかし、あのざわっとした胸騒ぎから、私の頭の片隅にいつかこんなことが起こるかもという未来を感じとっていたようにも思えました。

私は確かに彼の危うさを感知していた。私がもっと強引にでもNさんに会っていたなら、もっとNさんの声に耳を傾けていれば、こんな結果にならなかった? 

もう本当のことは誰にもわからない現実に涙がとまりませんでした。

SNSには相変わらず、笑顔の娘さんとNさんがアップされます。

私が写した写真です。

誰も消すことができないSNS・・・・・・私の罪を責められているように思えます。

52ヘルツのクジラたちを読んで、主人公がアンさんの苦しみがわからなかったことに頭に来ている私がいましたが、私もまったく同じだなあと・・・・・・

私にはNさんの声が届くはずだった、私がもっと強く、面倒なことから逃げなかったら・・・・

だからこそ今度こそは、どんな困難な道でも、孤独の海で歌っている52ヘルツの歌声を私は聞く。

と決意せずにはおれませんでした。

つづく